自由を夢見るメンヘラとカポエイラ

カポエイラ。アクロバット。居場所探し。生きた証。精神疾患と抑圧からの自由を求めて。

孤独、ヒプノセラピー、ヒーロー

ヒプノセラピーをご存じだろうか?
催眠療法なのだが、いわゆる退行催眠だ。
子供の頃、胎児の頃、生まれる前の記憶、過去世の記憶まで遡って、トラウマを癒したりする。

数年前ヒプノセラピーを受けたときに、子供の頃の自分を大人になった自分が助けて愛して守ってあげる、というワークをしたときに涙が止まらなかった。

俺はワークの中で、いじめっ子を血祭りに上げ「次こいつをいじめたらピーをピーすんぞ」、と脅迫。
子供の頃の自分を抱き締め、要求を聞いてあげた。
ゲームセンターに行きたい、ハンバーガーを食べたい、一緒に遊びたい、親の体罰から守ってほしい、など。
俺は車にチビを乗せて、チビが笑顔になるまで付き合った。



一人っ子だったからどうしようもできないのだが、兄や姉が欲しかった。

守ってくれる存在が欲しかった。
学校での児童と教師からのいじめ。
カルト宗教に洗脳されている親からの「愛の鞭」と称した激しい体罰

弟や妹が欲しかった。
一緒に遊んでくれて、俺を慕ってくれる。


孤独だった。
友達は居るようで居なかった。
表向きには仲が良いように見えていたかもしれないが、裏切りも見捨てもいつも隣り合わせにあった。
生きている人間は信用できない、と子供の頃から思っていた。


俺はいつもベイブレードミニ四駆、ビーダマン、ハイパーヨーヨーを持ち歩いて、まるでコロコロコミックの主人公のように「相棒」にしていた。
爆走兄弟レッツ&ゴー!や爆球連発スーパービーダマンなど、ご存じだろうか。
主人公の小学生たちが、溶鉱炉やら崖やら命懸けで、相棒のミニ四駆やビーダマンを守ろうとするのだ。
相棒に「ずっと一緒にいてくれよな」と言ってるシーンは胸キュン必至です。)

徒歩30分の帰り道、相棒に話しかけながらいつも帰っていた。
校外学習でプラネタリウムを見に行ったときも、一緒に見てくれる人がいなかったのでベイブレードの「ドラグーン」と一緒に見た。



中学、高校になっても孤独は癒えなかった。
一緒に飯を食べる友達が途切れたことはあまりないが、飯を食うときに一人にならないように、仕方のない表面上の付き合いなのだ。
そこに本当の絆はない。
俺は二回失言をして、飯を食べるメンバーが変わったことがあった。

多分、誰と付き合おうが結婚しようが、本当の意味で孤独から抜け出すことはないと思う。
自分のことを100%理解でき共感してくれる存在は自分以外に居ないのだから。

俺ね。絶対切れない絆が欲しい。
心から尊敬できるメンターとか、絶対裏切らない仲間がほしいの。

夢物語ですかね?