指導者は大切
youtubeを見ていると、
「この人に教わったら上達早まるだろうな」
というYouTuberがたくさんいる。
カポエイラ、体操、トリッキング、パルクール、ブレイクダンス、チアリーディング、躰道、大道芸。etc..
バク宙ひとつとっても、これだけの人が講座を作れる。
習う人の選択肢があるんだ。
私も何名かのメンターについて、アクロバットを習ってきた。
たった1時間の講座で、ウォーミングアップからバク転まで教え切ることができる人もいれば、4時間くらい(こちらもバテる)ずっと教え続けてる人もいる。
私の中の反抗鬼が「てめぇに何が分かる!」と暴れるような嫌なコーチもいた。
(実際には暴れてないけど、多分表情に出ていた。嫌な生徒ですんません)
でも、すべての人から教わったことは私の体に刻み込まれていると思う。
ちなみに、私の尊敬する人は三次元では内村航平である。
二次元は書ききれなかった。
小柄で身軽で、髪が赤いキャラクターが好きかもしれない
孤独、ヒプノセラピー、ヒーロー
ヒプノセラピーをご存じだろうか?
催眠療法なのだが、いわゆる退行催眠だ。
子供の頃、胎児の頃、生まれる前の記憶、過去世の記憶まで遡って、トラウマを癒したりする。
数年前ヒプノセラピーを受けたときに、子供の頃の自分を大人になった自分が助けて愛して守ってあげる、というワークをしたときに涙が止まらなかった。
俺はワークの中で、いじめっ子を血祭りに上げ「次こいつをいじめたらピーをピーすんぞ」、と脅迫。
子供の頃の自分を抱き締め、要求を聞いてあげた。
ゲームセンターに行きたい、ハンバーガーを食べたい、一緒に遊びたい、親の体罰から守ってほしい、など。
俺は車にチビを乗せて、チビが笑顔になるまで付き合った。
一人っ子だったからどうしようもできないのだが、兄や姉が欲しかった。
守ってくれる存在が欲しかった。
学校での児童と教師からのいじめ。
カルト宗教に洗脳されている親からの「愛の鞭」と称した激しい体罰。
弟や妹が欲しかった。
一緒に遊んでくれて、俺を慕ってくれる。
孤独だった。
友達は居るようで居なかった。
表向きには仲が良いように見えていたかもしれないが、裏切りも見捨てもいつも隣り合わせにあった。
生きている人間は信用できない、と子供の頃から思っていた。
俺はいつもベイブレードやミニ四駆、ビーダマン、ハイパーヨーヨーを持ち歩いて、まるでコロコロコミックの主人公のように「相棒」にしていた。
(爆走兄弟レッツ&ゴー!や爆球連発スーパービーダマンなど、ご存じだろうか。
主人公の小学生たちが、溶鉱炉やら崖やら命懸けで、相棒のミニ四駆やビーダマンを守ろうとするのだ。
相棒に「ずっと一緒にいてくれよな」と言ってるシーンは胸キュン必至です。)
徒歩30分の帰り道、相棒に話しかけながらいつも帰っていた。
校外学習でプラネタリウムを見に行ったときも、一緒に見てくれる人がいなかったのでベイブレードの「ドラグーン」と一緒に見た。
中学、高校になっても孤独は癒えなかった。
一緒に飯を食べる友達が途切れたことはあまりないが、飯を食うときに一人にならないように、仕方のない表面上の付き合いなのだ。
そこに本当の絆はない。
俺は二回失言をして、飯を食べるメンバーが変わったことがあった。
多分、誰と付き合おうが結婚しようが、本当の意味で孤独から抜け出すことはないと思う。
自分のことを100%理解でき共感してくれる存在は自分以外に居ないのだから。
俺ね。絶対切れない絆が欲しい。
心から尊敬できるメンターとか、絶対裏切らない仲間がほしいの。
夢物語ですかね?
完璧主義、反抗挑戦性障害?
俺は毒舌家で、他罰的で、傲慢だと思う。
他者の矛盾や不正にすごくシビア。
たとえ相手が目上の人でも「間違ってるんじゃないですか?!」と言いたくなってしまう。
「出るとこ出ますよ?」みたいな。
そんなんだから、敵が多かった。
警察にも逆ギレする。
やつらは「5分で終わります」という常套句でパトカー内に軟禁して、20分は拘束するんだぜ。嘘つき公務員めw
高校OBである自分が学校を出禁になりそうになったときは、面識のない校長に意見書を書いたこともあった。
合同労働組合(以下、ユニオン)に入って、傷病が完治したのに出勤をさせない職場を相手取って団体交渉して、やり合って(といっても話し合いだけどね)
3ヶ月分の給与に相当する額を払わせたこともあった。
ヤンチャだったな。
とにかく、納得いかないことは黙っていたくないんだ。
だけど、自分の間違ってる部分だって山ほどある。
それをつつかれると激しい憎悪を感じる勝手な人間なのだ。
論破されるなんて恥だ。
だから少しでも相手より優位に立てるように賢くならないと。
しかし、一人っ子だった俺はもともとコミュニケーション能力は劣っていたし、口喧嘩は昔から弱くてよく泣いていた。
強くなりたかった。
ナメられたくなかった。
俺をカポエイラに向かわせたのはそんな心理かもしれない。
今でも、偉そうな団塊の世代や警察官や政治家には無意識に反感を感じる。
自分と価値観が違う人間はバサバサ切り捨ててきた。
俺は身勝手な人間だ。
それでも、そんな自分のことが受け入れられないんだ。
もっとマトモな人間になりたくて苦しい。
カポエイラへの挫折
今タイムリーに悩んでいる話になる。
愚痴や泣き言の類だから、苦手な人は見ないほうが良い。
私は本当はもっと自由に飛び回りたい。
自由自在なアクロバシア。
アスファルトなどの固い地面の上でパフォーマンスをすることが多かったが、
そんな環境でもバク転バク宙を決めるカポエイリスタは憧れだった。
カポエイラは自由。
カポエイラは勝敗がない。
カポエイラは老若男女誰もが楽しめる。
そのはずなのに。
カポエイラに
不自由を、敗北を、不平等を感じている今がある。
「誰でもできる」
「簡単に」
「初心者歓迎」
というのは、仕事でも趣味でもスポーツでも挫折を招く要注意ワードだと思っている。
この言葉を鵜呑みにして始めたことができなかったとき、劣等感や恥ずかしさ、自己嫌悪なんかがボコボコ湧いてくる。
センスは、才能は、先天的な向き不向きは存在すると思う。
私はそれらを与えられなかった側の人種だ。
じゃあ足りないそれらを努力で補えばいい、と言う人は……
言える人は本人は努力だと言い張るが「才能」を持っていると思う。
世の中には努力をしてもできない人がいるのだから。
私はカポエイラに限らず色々なことを挫折してきた。
すべてではないが、ほとんどが精神疾患、気質がそうさせてきた。
幼い頃から、勉強でも遊びでも、行き詰まりを感じると癇癪を起こしたように泣きながら怒り、物を投げ出した。
本質の部分が何も変わっていないのだ。
自分のイメージ通りに動く体がほしい。
ストレッチをしたらした分柔らかくなる体が。
筋トレをしたらした分強靭になる体が。
不必要な怪我に悩まない体が。
その体を統治する脳と心が、ほしい。
本当はただ単純に、カポエイラを楽しみたいんだ。
覆水盆に返らず
一度壊れてしまった人間関係を再び修復するのは、だいぶ難しい。
傷病手当て金をもらっても、社会保険料を会社に支払わないといけないため結局は赤字。
私は会社に復帰する気はさらさらなかった。
一度キ〇ガイ扱いされてしまったら、
「また暴れるんじゃないか」と警戒されて居心地が良いわけがない。
私は籍を休職中の会社に置きながら、生活のためにアルバイトを始めた。
もう戻る気はなかった。
一度壊してしまったら、もとに戻すために必要なエネルギーははかりしれない。
それからの私は人脈も、居場所も簡単に壊してしまうようになった。
職歴もすごい数になってしまった。
狭い地元なもんで、私が職場で犯した不祥事も失言も、人づてに次の職場の人間に伝わったりしていた。
いつしか「いい噂は聞かない」と言われたことがあった。(←悪名高い(笑))
自分のことを誰も知らない土地に行きたいと思ったこともあったが、
地元で続けていきたいもの(カポエイラなど)もあった。
気力があるときは北へ南へ車で出掛けた。
色々な団体に所属し、イベントに出たが。
自分の居場所が見当たらない。
まさにそれだった。
双極性障害が発現した日
いじめられたり、周囲に馴染めなかったりした子供時代だったが、
精神的に健康なほうだったと思う。
「ぼく、内向的です」「孤立してます」
みたいなオーラを出すことや仮病は得意だったが、
本格的に精神のほうを病んで病院を受診することはなかった。
20歳、公私とも色々なことがあった。
仲が良かった同僚が退職したり、ネットで知り合った初体験の相手がそのまま付き合ってくれると思っていて、
「好きでもないのに付き合って片割れはどう思うよ?」ときつい一言を食らったり。
その辺りから気分が落ち込むようになっていた。
地元の心療内科を受診して、診察室で泣いたのを覚えているが、何に悩んでいたかはよく覚えていない。
楽にならないので、「来週県立病院の精神科に行こう」、と予約していたところだった。
やたら調子が良い日があった。
私の居た職場では朝礼でみんなの前で文章を読む機会がちょくちょくあって、
少し文章を読むときにつっかえることが多かったのだが、その日はまったくつっかえなかった。
「今日調子がいいんですよね!」
と上司にも言っていた。
今思えば、典型的な躁状態だった。
その直後、上司のちょっとした叱責に激昂し、「あーあー、私なんて死ねばいいですよね!」と捨て鉢な態度になりカッターで手首を切っていた。
叱責した上司はじめ、周囲の人間はパニクっていた。
押さえつけられて、その日はそのまま家に帰され県立病院を緊急受診。
この日から、職場では腫れ物を扱うような…というか完全に珍獣のように扱われてしまい、
味方だと思っていた同僚たちからもほぼ完全に孤立。
(唯一、例の一緒にカポエイラに行っていた先輩だけが話を聞いてくれた)
会社からは「しばらく来ないでほしい」と家に電話がかかってきた。
電話をとった家族からそれを聞いたときに「うわああああ!!何で!!何で!!」
と発狂し、泣いた。
長い長い、闘病生活が始まった。