自由を夢見るメンヘラとカポエイラ

カポエイラ。アクロバット。居場所探し。生きた証。精神疾患と抑圧からの自由を求めて。

バク転

私がバク転に惹かれ始めたきっかけはよく覚えていない。
カポエイラで使っている人がいて、
「自分もホーダで使ってみたい!」と思ったのかもしれないが、残念ながらその光景が思い出せない。

当時、カポエイラには体操出身の人が練習に来ていて、その人に紹介されて体操クラブに見学に行ったのは覚えている。

その人曰く
「俺は小学生のときに布団で練習して独学でできた」
と言っていた。

運動神経が良いか、恐怖心があまりない人だったんだろうなと思う。

私はバク転の習得にものすごく時間がかかった。体操教室で何回同じことを注意されたか分からない。
冗談抜きで年単位かかった。
高校に在学しているときに肘の故障で練習しなくなったので一回、(その後20代前半でバク転熱が再燃したような気もする…※)しばらくブランクが空いていたから、再び練習を始めた30歳まで軽く10年はかかっている。

※20代前半に、母校に遊びに行ったときにエバーマットがあり、こっそりバク転をしたらできてしまったことがあった。

体操教室に通ってガチで練習をしていた当時できなくて、
遊びでやったときにできた理由はやはり筋力だろう。
明らかに成人した後のほうが筋力が増していたからだ。
ただ、バク転は曲がる時期が何度もあり、その修正に苦労している。(今も。)

高校生のときに憧れた、アスファルト上でのバク転はいまだに成功していないのだ。

労働の合間に

高校を卒業してすぐに入社した会社は、地元の中小企業だった。
従業員数も一時は100人を超え、
ヤンキー・オタク・おばちゃんの三大勢力で成り立っていたと思う。

今では考えられないくらい、当時の私は社交的だった。

14人いた同僚にはバランスよく声をかけていたらしい。(上司に言われた)
孤立している人がいたら話しかけずには居られなかった。

同僚とも仲が良かったので、残業がない日はカラオケに行ったり、ファミレスで日付が変わるまで騒いでいた。

私のアイデンティティはその当時もカポエイラだったと思う。
恐らく履歴書にも書いた。
その頃は自分のアイデンティティをさらけ出すことに抵抗がなかった。(今はできれば無難に済ませたい)

昼休み、同僚の前でカポエイラの技をしていた記憶がある。
(免許を18歳でとった私はカポエイラの練習に行けるようになっていた)
特段親しくなった先輩が、私のしていることに関心を示してくれた。

私がサバイバルゲームを始めたときは道具一式揃えて同じチームに入ってくれたし、
どこで買ったのか、カウサ(カポエイラ用のズボン)を着てカポエイラの稽古に来たりもした。

忘年会で、一緒にカポエイラの蹴りで大根を割る一発芸をしたりしたのも先輩だ。

カポエイラへの情熱は初めたての頃より薄れていたが、誰か一緒にやってくれる人がいると、モチベーションが上向いてくるものだ。

奪われたカポエイラ

前回の記事の続き。
高校2年生くらいだったと思う。

高校生になり部活もしていたので毎週カポエイラの練習に行くことはできなくなったが、
突然親に呼び出されてこんなことを言われた。


「もうカポエイラの練習に送っていくことはできない」

親は新興宗教で配布されている冊子を手にしていた。
何か私を説得するときには、たいてい新興宗教の協会から配られている聖書だの冊子を引っ張りだしてきていた。

この宗教では何かにつけ「〇〇の害」だの「〇〇、有益か?」だの世間一般では罷り通っている習慣や行為をぶったぎるトンデモ記事を月2ほどのペースで世にばらまいている。

その中でカポエイラが挙げられたというのだ。
すごすぎだろ、ピンポイントすぎだろ協会の情報網。
と思ったけど、頭から血の気が引いていくのを感じた。

カポエイラは暴力と心霊術と関わりが深い。
だから、もう参加させることはできないという。

何故このタイミングでそんなの記事にするねん、と某協会への怨恨が沸き上がってきた。

まだ車の免許がとれる年齢ではなかったし、原付の免許は危ないからと親に反対されてとらせてもらえなかった。

私はカポエイラに事実上行けなくなった。


仕方がないので、カポエイラでバク転を使いたくて少し出向いていた学生向けの体操クラブに参加し始めた。

ただ、当時は筋力が今よりだいぶ弱く、バク転ができないまま肘を故障してしまい、体操とも疎遠になってしまった。

カポエイラとの出会い

なぜカポエイラ
と思われる人もいると思う。

きっかけは週刊少年ジャンプの格闘技特集だった。
「サッカーと野球どっちが好き?」みたいな質問にYES/NOで答えていくチャートだ。
他にテコンドーやボクシングなどあったが、
私の場合カポエイラという結果に行き着いた。

コロコロコミックに連載されていたK-1ダイナマイトという漫画(今は絶版)の影響で、私は格闘技に関心があった。

ところが、後述する家庭の事情で一般的な格闘技は禁じられていた。
カポエイラについて調べたところ、格闘技とダンスの融合(実際にはもっと深いのだが)、というような記述があり、これだと思った。

カポエイラはその頃にはほとんど無名のスポーツだったので当然親も詳細は知らない。
そこで、ダンスだということにして、すんなり地元で開いていた教室に参加することができたのだ。

15歳のときだった。

まるで、黒人奴隷が看守の目を欺くために格闘技の練習をダンスにカモフラージュしながらしていたように(笑)


家庭の事情、というのは「宗教」だった。
それもとある有名な新興宗教だ。
(二人一組で歩いてパンフレットを配ったり、輸血を拒否する人たち、といえばわかるだろう)

「戦いを学ばない」という教理から、「アンパンマンは暴力だから子供に見せない」という教団の親もいた。

私の通っていた中学には武道が必修科目で、柔道と剣道どちらかを必ず選択する必要があった。
中学くらいには私は親と一緒に教団に行かなくなっていたが
用具は自腹のため、親にお願いするしかなく、私は泣きながら親に頼んだのを覚えている。

しばらくは親の車で送迎してもらい、カポエイラに通えていたが、予想だにしなかった転機が訪れてカポエイラに行けなくなった。
それはまた次回の記事にする。

私のこと メンヘラ編

簡単に私のことを紹介させてもらう。
東北在住の30代。
フルタイムの会社勤めをしている。

別に書かなくてもいいかもしれないが、
ブログのタイトルに「メンヘラ」が含まれているのにはそれなりの理由がある。

障害者手帳を取得するほどではないが、自立支援制度の手帳を持っており、
そこには2つ「障害」と名のつく疾病が記されている。

そのうち片方は、「双極性障害」といわれる病気だ。

時折、パーソナリティ障害や統合失調症発達障害のような症状が出て、20歳頃に主治医だった人が出した上の診断が正しいものなのかは分からない。


まぁとにかく、世間一般で普通の人からしたら、普通ではないと思われることがあるようだ。


物心ついたときから変な子供だと思われていた。
無難な選択をすればいいものを、あえて他人に叩かれるような選択をしていた、と言えばいいのかな。

学校でも会社でもよく人間関係でトラブルを起こして孤立してきた。

それは今も変わらない。
少し油断すると、相手の反感を買うような言動をしてしまい
人間関係がすぐに破綻してしまう。

安全な居場所がほしかった。
言論の自由が認められて、信頼できる仲間がいて。
下手な社交辞令使ったり、気を遣いすぎない、ニュートラルな自分でいられる場所。


そんな場所はありそうでいて、見つけられなかった。
せっかく見つけても、作っても、
私が抜けたり、壊してしまった居場所もあった。

私の理想は「大人の部活動」。
↑は夢についてとある知人と語ったときに出てきた言葉だ。
私が高校のときに所属していた部活が、理想の場に近かった。
楽しくて何時間でも部室に居れた。
臆することなく自分の意見を語れた。


あんな場所をもう一度創れたらと思っている。
カポエイラという手段を使って。

このブログを始めるにあたり

このブログは夢の実現のログであり、私の生きた証であり、
自分史的な場所にしたいと思っている。
それと同時に、私と似た境遇の人の参考になればと思っている。


本気で目指せる夢や目標がある人はすごいと思っていた。

私は何かに取り組んでもいつも挫折していたからだ。

挫折を繰り返しているうちに、夢を持つことを諦めてしまっていた。

すでに高校生くらいのときに、高3の夏まで進路希望未定のままだった。
特に大学に行って勉強したいこともなかったし、学費も払いたくないので就職を選んだ。

そのまま好きでもない業種に就職し、転職を繰り返してきた。

やりたいことやなりたいものを見つけるきっかけとなった出来事が何回かあったが、
ほとんどを途中放棄してきた。

その中で唯一、ブランクがありながらも続けているものがあった。
カポエイラ

器械体操やトランポリンにも数年通っていた
が、私のは「体操」「アクロバット」と呼ぶにはあまりにお粗末すぎるので経歴としては語れないだろう。

カポエイラ歴はブランク(仕事が忙しくて通えなかった時期など)はあれども16年になる。

2019年年末。
夢について物凄く考えた日があった。
くよくよくよくよ、悩んだ挙げ句
もう一度、原点に戻ってみたいと思った。

「自由」

いずれ記事にするが私にとってカポエイラは自由の象徴だった。
カポエイラを復興させたい。
カポエイラ歴16年です」と胸を張って語れるようになりたい。

そのために2020年は、バチザード(昇段式)に初参加しようと決めたのだ。

決めたからこそ、今までしてこなかったことを本気で取り組みはじめた。

それも、記録していこうと思う。